「ドン不在」創価学会で某重大論争

次期会長と目される谷川氏らが打ち出した「大御本尊」問題が紛糾。大方針が決まらない。

2014年8月号 POLITICS

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ネット上に流出したとされる告発文書

創価学会の内外で今、ある告発文書が物議を醸している。それは5月中旬、現役学会員が長年続けているインターネット上の匿名ブログに掲載された。「総本部の御本尊と日蓮世界宗創価学会会憲の問題点」などと題する3扁の文書は作成者不明ながら、昨年秋に学会内部で進行していた極秘計画を克明に綴り、1万8千字近くに及ぶ。もっとも、それはブログ管理人によってわずか1日で削除された。かえってそのことが内容の信憑性や重大さを物語っていると一部では受け止められている。

件の文書によれば、学会は昨年9月、小委員会を設けて教義における本尊の意味づけを大きく変えようとした。東京・信濃町の学会村では総本部建物の完成を創立記念日である11月18日に控え、慶祝委員会が立ち上がっていた。その下部組織である小委員会を主導したのは次期会長の有力候補と目される谷川佳樹事務総長や弁護士グループ重鎮の八尋頼雄氏、前会長で現在は最高指導会議議長を務める秋谷栄之助氏ら主流派の最高幹部たちで、それに教義の専門家である教学部員が加わった。谷川氏らが打ち出した方針は本尊中の本尊である「大御本尊」を置き換えるというものだった。

教学部員が告発レポート?

学会は教義を定めた会則第2条で「大御本尊を信受し」としているが、それはすなわち静岡県の日蓮正宗大石寺(宗門)に安置された「戒壇の大御本尊」を指すものと大方了解されてきた。鎌倉時代の宗祖・日蓮が書いた文字曼荼羅を一枚板に彫ったものだ。谷川氏らはそれと決別し、学会自らが信濃町に安置する「創価学会常住御本尊」を「大御本尊」とする方針を打ち出したのである。1951年に宗門の64世法主・日昇が戒壇の大御本尊を書写し、学会に授与されたものだ。そして総本部を「広宣流布大誓堂」と名付け、新たな「大御本尊」を安置する。

並行して進んでいたのが「日蓮世界宗」の旗揚げとその会則にあたる「会憲」を制定する動きだった。日本の創価学会と、創価学会インタナショナル(SGI)に集う海外各国の組織を、日蓮世界宗の旗印の下に統合し、前述の大誓堂を聖地とする世界宗教の体制づくりを目指すものだ。同時に、日蓮世界宗の会長に就くのは日本の創価学会会長とされ、人事・財政面における信濃町の一極支配を強める性格も会憲は帯びていた。

教義の根本に関わる本尊問題の議論は紛糾したようだ。戦後に急拡大を遂げた学会はもともと宗門の在家信徒団体。が、90年代初頭、宗門と激しい対立関係に陥った(91年に宗門が学会を破門)。本尊問題に関し主流派の一人は「宗門と最終決着をつける」と息巻いたというが、宗門戦争以前からの教義の整合性を重視し、一般会員の混乱を避けたい教学部は反発。これに対しては「多少の退転はやむを得ない。9割は付いてこれる」との発言があったという。

他方、会憲問題については昨年9月25日の会議で原田稔会長が海外主要国の代表に対し次回来日時の賛同署名を求めたとされる。が、独立志向の強い各国代表の間では戸惑いが広がり、10月3日の中央会議でもお膝元から多くの疑問の声が上がったという。それでも原田氏や谷川氏らは11月8日に日蓮世界宗の旗揚げを全世界に向け発表する日程を内々に固め、強行突破を図ろうとしたらしい。

以上が文書の告発するところだが、関係者によれば、おそらくは事態を危惧した教学部員による私的レポートだという。それが今年初め頃に流出したようだ。ある教学部員が執行部の査問を受けたとの情報も伝わる。「そうした文書が出回っているとは聞いたが、怪文書の類いではないか」と古参の有力学会員は話す。信濃町は怪文書扱いにして火消しに走っているようだ。が、関係者によれば、文書の内容そのものはほぼ事実に即しているとみて良いという。実際、学会は日蓮世界宗の名称を特許庁に商標登録している。

その後の経過を記せば、本尊問題も会憲も何ら決着を見ることなく、総本部完成の日は通り過ぎた。発表に至ったのは広宣流布大誓堂と命名したことだけだ。東京大学出身で実務に長けた谷川氏を創価大学出身で理事長を務める正木正明氏が激しく追い上げていると取り沙汰された次期会長レースの決着も持ち越しとなった。学会にとってまたとない慶祝の日は肩すかしに終わった。今の学会は何ら大方針を決められないのが実情だ。

その最大の理由がカリスマ指導者である池田大作名誉会長の不在にあることは論をまたない。脳梗塞で倒れたとされる池田氏は2010年5月を最後に公の前に姿を現していない。昨年夏には極秘の軽井沢会議を招集し復活の兆しを見せたが、その後は信濃町の第二別館に引きこもる毎日だ。ごく一部の幹部は頻繁に面会しているものの、明確な指示は下されていないようだ。『聖教新聞』も昨年11月以降、近影を掲載していない。

カリスマ亡き後どうなるか

カリスマ不在の間、谷川氏ら主流派は権力基盤を固め、ここにきてその傾向は強まっている。06年に会長職を外され失脚したとみられた秋谷氏が合流し復権。中立とされた原田会長も今や主流派に軸足を移したようだ。昨年12月には対抗馬である正木理事長のブレーンとされる本部機構の幹部2人が要職から外れた。いまや正木氏側は総崩れというのが大方の見方だ。

谷川氏らは集団指導体制下の権力集中型組織を指向しているとされる。かつて池田氏は創価学園・創価大出身者を要所に配した権力分散型組織を思い描いた。しかし、それはカリスマあってこそ統御可能な組織。谷川氏らが推し進める信濃町の聖地化など一連の大方針は、ルールで縛り上げ一極集中組織を目指すという、カリスマ亡き後を見据えた実務家ならではの発想だ。

ただ、もはや敵なしの主流派でも国内だけで公称827万世帯を数える巨大組織を号令ひとつで動かせるほどの指導力はない。件の告発文書によれば、谷川氏らは方針を押し通す説得材料として事あるごとに「先生(=池田氏)のご意思」をちらつかせていたとされる。が、実際のところ池田氏の明確な支持があった形跡はなかったという。

池田氏を偶像化して求心力を保ち、組織維持を図る――そんな未来像もよぎる。学会は停滞と斜陽の時代を迎えるのか。

   

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