明治大が「裏切り」 困り果てる日野市

理事長交代と身内の論理により「スポーツパーク」整備計画が中断。多摩テック跡地が廃墟になる!

2015年8月号 LIFE

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明治大学のリバティタワー(東京・神田駿河台)

都心から西へ35キロ。緑豊かな丘陵の里、日野市が困り果てている。

「明治大学の進出が立ち消えとなった多摩テックの跡地は荒れ放題。雨が降ると崖が崩れる始末です」と、地元住民は嘆く。

自動車遊園地「多摩テック」が閉園したのは09年9月。明大と共同事業者の三菱商事が「跡地を活用したい」と名乗りを上げたのは翌年6月だった。その計画は、多摩テック跡地約20ヘクタールにグラウンド5面、体育館、プール、合宿所、クラブハウスなどを備えた「明治大学スポーツパーク」をつくり、「スポーツ科学部」を新設するという野心的なものだった。強豪のラグビー部などが本拠地とする八幡山グラウンド(世田谷区)が老朽化し、周辺住民への配慮から移転先を探しており、実は「渡りに船」だった。

地元との協議はトントン拍子で進んだ。地区計画について説明会を開催した後、11年末に市は明大の意思を最終確認する覚書を結んだ。年明けに地区計画の最終案説明会を開き、年度末に「七生丘陵西地区地区計画」として都市計画決定を行った。

怒り心頭の日野市長

一方、共同事業者である三菱商事は、まちづくり条例に基づく諸々の説明会を開き、条例に規定する開発事業の手続きの完了後、市と開発事業に関する協定を締結した(12年4月)。これを受けて東京都と、都条例に基づく開発事業の手続きを開始。環境アセスメント審査を経て13年5月に許可が下りた。この間に、三菱商事は明大との契約に基づき、事業に必要な全ての開発用地の取得に成功した。

ところが、明大は都への開発許可申請を出さなかった。それどころか9月25日になって突然、大坪冬彦市長に「計画中止」の意向を伝えてきた。市長が「納得できない」と突っぱねると、2日後の9月27日に、明大は最高意思決定機関である評議員会を開き、計画中止を一方的に決めた。怒り心頭の市長は抗議文を出し、事業継承を強く求めた。これに対して11月6日、明大の日高憲三理事長(78)が市長を訪ね、改めて「事業中止」を申し入れた。その理由として「大震災後の工事費の著しい高騰」(理事長)などをあげたが、市長は「合理的な根拠を示さず、一方的な中止は容認できない」と突っぱね、物別れに終わった。他方、同席した共同事業者の三菱商事は事業を継続したいと主張しており、一筋縄ではいかない内情が覗いた。

三菱商事は、すでに巨費を投じて用地を買収しており、計画が中止になったら、それが宙に浮くことになる。しかも、この用地は市街化調整区域内にあり、学校施設以外の建築はできない規制がかかっている。産業誘致はもちろんレジャー施設も建てられないのだ。「明大がダメなら別の学校を呼ばないと、広大な廃墟になる」(日野市議) 明大が計画中止を決めた直後、三菱商事は土地の買い取りを求めたが、明大は「三菱商事の見通しが甘かったため、建物やグラウンドの竣工の目処が全く立たなかった」「自ら開発リスクを負担して用地を購入し、許認可を取得し、建物を完成させ、エンドユーザーへ土地、建物を引き渡す責任を全く果たそうとせず、不誠実な対応に終始した」などと契約不履行を言い募り、和解の席につこうとしなかった。

堪忍袋の緒が切れた三菱商事は、今年3月、明大を相手取り土地代金(約46億円)の立て替え費用など61億9千万円の支払いを求める訴訟を起こした。明大は口頭弁論で「(本学は)学校法人であり、これだけ大規模な開発事業を安全・円滑かつ確実に推進する知識も能力も持ち合わせていないため、いわば『開発のプロ』である三菱商事の提案を全面的に信用して計画を推進する決断をした」などと主張したが、関係者から失笑が漏れた。「明大と三菱商事はペアを組み、熱心に計画を説明していた」(日野市議)というのに、「リスクを負う知識も能力もない」という弁明が通用するほど、明大はナイーブなのか。

「ずる賢い鼬」の立ち回り

「12年3月に地区計画を決定した直後、納谷廣美学長(75)が勇退してから流れが変わった」と、日野市の幹部は振り返る。納谷氏は「都市型大学宣言」を出し、08年に国際日本学部を設立、12年に国際日本学研究科を開設し、国際大学を系列に取り込むなど、明大を人気大学に押し上げた中興の祖。「スポーツパーク」「スポーツ科学部」の創設は、納谷学長の総仕上げのプロジェクトだった。その納谷氏から後継を託されたのが日高理事長だ。氏は人材派遣会社「日本リック」(千代田区飯田橋)の創業者(現在は最高顧問)であり、経営企画担当常勤理事として、納谷氏を支えてきた。

そもそも「スポーツパーク」整備費用は、八幡山グラウンドの売却資金を充てる計画であり、跡地にマンション建設を目論む住友不動産が150億~180億円で購入するとソロバンを弾いていた。しかし、大震災後の人件費と建設資材の高騰により、総事業費が1.5倍以上に膨らむことがわかり、明大首脳部は動揺した。

03年にライバルの早稲田大がスポーツ科学部をつくってから、東洋大、立命館大、帝京大、同志社大などスポーツ学部の創設が相次いだ。「いまさらリスクを冒して早稲田を追いかける意味はない。いまのうちならやめられる」という連合駿台会(明大OB組織)の声も影響したという。日高氏は計画中止を視野に入れながら、一方で三菱商事に総事業費の上限を確定するよう再三要求したが、更なる費用負担を嫌う三菱商事が応ずるわけがなかった。

そして日野市長の猛反発に直面するや、直ちに評議員会を開いて計画中止を機関決定し、自ら市長を訪ねて一方的に中止を通告した。さらに一切の費用負担をパートナーの三菱商事に押し付け、和解に応じようともしなかった。

明大は口頭弁論で「知識も能力も持ち合わせていない」と主張するが、日高理事長は中小企業の創業者らしく、実に利に聡く立ち回った。「ずる賢い鼬(いたち)」のように。それが訴訟の法廷で通用するとは思えないが――。

この間、約2年間に開かれた地元説明会は10回に及ぶ。一方的な中止は地元の期待を裏切り、禍根を残した。日高氏は地元に出向き、計画中止の理由を説明し、頭を下げるべきだろう。

   

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