フタされた米軍戦争犯罪 「沖縄の枯葉剤」

2015年9月号 POLITICS

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ドラム缶に記されたダウ・ケミカルの社名

米軍普天間基地の辺野古移設計画で、日本政府は8月10日から1カ月間工事を中断し、沖縄県と集中協議している。この一時休戦を機に、米軍基地の土壌汚染問題を考えてほしいと訴える英国人ジャーナリストがいる。『追跡・沖縄の枯れ葉剤 埋もれた戦争犯罪を掘り起こす』(2014年11月・高文研)の著者であるジョン・ミッチェルさん(40)だ。仮に普天間飛行場が返還されたとしても地中がどれほど汚染されているかはわからない。莫大な土壌の復元費用は、不平等極まる日米地位協定等により全て日本政府の負担となる。

13年6月、沖縄市のサッカー場改修工事現場から、米軍が埋めたとみられるドラム缶が掘り出された。ドラム缶から漏れ出た液体からは除草剤エージェント・オレンジ(枯葉剤の一種)と同種の成分が検出された。それ以降、発見されたドラム缶は100本を超える。この地は87年に米軍嘉手納空軍基地から返還された場所。ドラム缶の一部に枯葉剤を製造した大手メーカー「ダウ・ケミカル」の社名が記されていた。

枯葉剤とは、森林を枯死させる化学兵器。ベトナム戦争で米軍は密林地帯で南ベトナム解放民族戦線とのゲリラ戦に苦しんだ。そのため米軍は森林を一掃し、敵軍の農作物処分を目的に、猛毒の枯葉剤を61年から71年まで散布。成分のダイオキシンは人体の内分泌系や遺伝子を損傷し、数多くの先天性障害児が生まれた。

ベトナム戦争中、米軍は出撃基地である沖縄に枯葉剤を秘密裏に持ち込み、貯蔵・使用・廃棄した。その方法はドラム缶に詰めて、地中に埋めるか海に投棄した。

ミッチェルさんは10年9月、環境調査のため、水源地の役割を担うやんばるの森に囲まれた沖縄本島北部の東村高江を初めて訪問した。住民から「高江近くの米軍北部訓練場でベトナム戦争中に枯葉剤が使われたのではないか」と疑いの声を聞いた。

これを機に世界を取材して歩いた。米国に行き、退役米軍人のインタビューを敢行し、ベトナムでは毒物の有害性を告発した医師に面会した。その結果、退役米軍人と沖縄住民らが、ガンや白血病、先天性障害児の出生など、枯葉剤が原因と見られる病魔と後遺症に苦しんでいる事実をつかむ。

そして12年10月、ついに沖縄の枯葉剤を証明する米軍の内部資料を入手した。ある退役米軍人が「フォート・デトリック報告書」(71年9月)の一部をミッチェルさんに送り届けた。フォート・デトリックは、米国メリーランド州の米陸軍生物兵器研究施設を指す。

同報告書にはエージェント・オレンジの備蓄地域として「Okinawa」(沖縄)と明記されていた。裏付ける関連文書はこの他にも次々に発見された。しかし、米国は証拠をいくら突きつけられても沖縄の枯葉剤の存在を認めようとしない。もし認めたら巨額の損害賠償が発生するだけでなく、安保の背後でフタされた米軍の「戦争犯罪」が姿を現すからだ。

   

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