もう一つの
「戦後70年談話」

2015年10月号 連載 [永田町 HOT Issue 第2回]
by 齋藤 健(自民党衆議院議員)

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戦後70年談話を、一人の政治家として補足したい。


今回の談話では、かつて植民地支配した国々に対する反省や謝罪の言葉等々が含まれるかどうかが大きな争点となった。


が、中国や韓国等々への謝罪をうんぬんするのであれば、同時に、あれだけの惨禍に呻吟した日本国民への謝罪もあってしかるべきではないか。


そして、それは、日本はどこで道を間違えたか、何故間違えたか、日本人の意思決定の在り方に直すべき点はなかったか、その弱点は克服されているのか、等々への日本人としての深い内省をあわせ持つものでなければ意味がない。


もっともこれらの点は、政府が談話という形で取り上げる性格のものではなかろうが、だからといって、なくていいものでもない。




ペルーに「明治の遺伝子」

今年は、戦後70年であると同時に、日露戦後110年でもある。日露戦争の評価もいろいろあろうが、日露110年にも思いをいたした時、明治の指導者たちは、もう少し賢く国家運営をしていたように思えてならない。


連合国軍最高司令官として日本に進駐したダグラス・マッカーサーは、じつは、日露戦争当時、観戦武官であった父親に連れられて来日している。25歳の時であった。その際、大山巌元帥、乃木希典陸軍大将などの謦咳に接したわけであるが、その彼が、第二次世界大戦後に、自分が戦った軍人と日露戦争の時の日本の軍人を比較して、同じ国の軍人とは思えなかったという、言葉を残している。


また、A級戦犯の松井石根・元陸軍大将は、処刑される直前、武士道とか人道とかという点で、日本は日露戦争当時と全く変わっていたと振り返っている。氏もまた、若き陸軍軍人として日露戦争に従軍していた。


日露から太平洋戦争までの間、日本のどこかで何かが変わっていたに違いない。しかも、その間、わずか三十数年。


一つは指導者層の変質が挙げられよう。


明治の指導者たちは武士の末裔であった。そして武士とは、単なる戦いの専門家ではなかったのである。外交も、経済も、社会保障も、技術開発も、財政も武士が担当した。つまり、武士とは、視野の広いジェネラリストの集団であった。そして、日露戦争は、戊辰戦争、西南戦争、日清戦争と戦い抜いてきた明治の元勲たちが、総司令官や軍司令官として指揮を執った最後の戦争となった。


一方、陸軍士官学校や陸軍大学校で近代参謀教育を受けて育った新世代の軍事スペシャリストたちは、ちょうどこれらの指揮官たちを補佐する地位にまで成長を遂げていた。


つまり、この時の日本では、ジェネラリストの指導者をスペシャリストの参謀が支えるという、ベストコンビネーションの世代構成が実現していたと言えよう。


その後の歴史は、まさに世代交代の歴史となった。昭和の悲劇に向かう道は、この世代交代と切っても切れない関係にある。
このことを象徴する出来事に直面したことがある。


1996年のペルー人質事件の時のことである。ある新聞記事に、フジモリ大統領(当時)がなぜ強力なリーダーシップを発揮できるのかという日本人記者の質問に対して、現地のペルー人が、「それは日系人だからだ」と答えたとあった。


悪い冗談かと思いもしたが、よく考えてみると、そのペルー人がイメージしている日系人というのは、明治の時代に海を渡り、昭和の時代をバイパスした、いわば、明治の遺伝子を直接引き継ぐ日系人のことであった。だから、リーダーシップがとれるのだという。


昭和天皇は、敗戦の理由の一つに、明治時代のような元勲がいなくなったことを挙げておられるが、その遺伝子はなお、遠くペルーの日系人の遺伝子の中に生き続けているのかもしれない。


この件には後日談がある。


1999年9月にペルーで行われたNHKのど自慢大会での出来事。一生懸命覚えた日本語の歌を歌った日系3世の少女。その名前を聞いて驚いた。「きく」であった。明治の芳香は、間違いなくペルーに残り漂っている。




独軍参謀メッケルの眼力

指導者層の変質はなぜ起こったのか。この点について戦後克服されるべく努力がなされてきたのか。うなだれるしかない。


紙幅の関係でこれ以上展開できないのが残念であるが、日露戦争から昭和の敗戦に至るまでの歴史から取り出さねばならない現在への教訓は、他にもある。
「日本人が寄り集まってできる組織においては自己改革力が弱い」
「一度決めた大方針というものにとらわれ環境が大きく変わってもなかなか直せない傾向が強い」
「過去の歴史を直視する力が弱い」
「冷静な分析を横に追いやる、その場の空気といったものの支配力が強い」
「ものごとを容易にできると妄想する。現実に立脚しない安易な希望的判断を行う」


などなど、心に刻むべきことは多い。


とりわけ最後の点は、草創期の日本陸軍を指導したドイツ陸軍の参謀・メッケル少佐が、日本の参謀の欠点として、はるか130年前に指摘している点である。


結局、昭和の軍人は、中国は一撃でおとなしくなるはずだ、ドイツはイギリスを屈服させるはずだ、アメリカ人は戦争に弱い、などという甘い判断に基づいてこの国を奈落の底に導いた。
今更ながら、改めてメッケルの眼力に驚かされると同時に、自らの弱点を冷静に直視した「反省」というものの重要性に思い至らざるを得ない。果たして、それはなされているのか。


日露戦争以降の時代は、激動する世界情勢にもまれながら、右は国家改造思想から左は共産主義思想まで日本自身が内発的な改革にまい進した時代でもあった。結果は、惨憺たるものであった。


戦後70年。今また内発的な改革の時代を迎えている。談話は談話として、我々日本人が内省を新たにしなければならないことはあまりにも多い。

著者プロフィール
齋藤 健

齋藤 健(さいとう・けん)

自民党衆議院議員

1959年生。東大経卒。通産省入省、埼玉県副知事を経て、2009年衆院初当選(現在当選3回)。党農林部会長などを歴任。

   

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