2025年6月号
LIFE
[シン鳥獣戯画]
by
松田裕之
(日本生態学会元会長)
表が瑠璃色のオオルリシジミ(アルプスあづみの公園HPより)
吾輩は大瑠璃(おおるり)小灰蝶(しじみ)である。日本では九州と本州に亜種がいるが、環境省の絶滅危惧種(それぞれIB類とIA類)に指定されている。翅(はね)を広げた横幅は3-4センチほどで、シジミチョウの中では大きいほうだが紋白蝶(もんしろちょう)よりやや小さめだ。表は瑠璃色で縁がオレンジ色に染まり、我ながら美しく、人間の子供たちにも人気がある。九州の仲間は熊本県阿蘇の草原にいるが、吾輩は長野県安曇野市に棲んでいる。昔は東北や関東地方にも仲間がいたようだが、今は本州では安曇野市周辺など、限られた地域にしかいない。
安曇野のオオルリシジミ
我々が数を減らした原因は、農地や草原の減少にあるという。耕作放棄地は樹木が育ち、吾輩には棲みにくい環境に変わる。また、乱獲や農薬散布も減少要因に拍車をかけたと言われる。人気があるのも善し悪しだ。
我々に限らず、蝶類は世界各地で減っている。欧州では蝶類の約2割が減っているといわれる。日本でも10年あたり30%以上減っている可能性が示唆された。中でも我々オオルリシジミの減少は深刻だ。地元安曇野市は2022年に我々を天然記念物に指定した。
飛翔するメスのオオルリシジミ(安曇野市HPより)
我々には天敵も多い。蛾の幼虫はある種は毒をもち、ある種は毛で身を覆う。食べてもまずい種ではわざと毒々しく目立つ色をしている。これを警告色という。食べておいしい種は逆に目立たぬ色や模様で身を護る。これを隠蔽色という。あるいは、自分は毒をもたないのに警告色を持つ種に擬態して天敵から逃れようとする種もいる。また、成虫には、捕食者である小鳥を襲う天敵を思わせる目玉模様を翅に持つ蝶もいる。揚羽蝶(あげはちょう)の芋虫にも本当の目でない目玉模様をつけている。
アリと共生するオオルリシジミの幼虫(東京大学大学院理学系研究科HPより)
吾輩は、幼虫時代は蟻に護衛させていた。糖とアミノ酸に富んだ甘い蜜を分泌し、それを蟻が舐める代わりに、蟻は蜜を出す吾輩を天敵から守ってくれた。これは吾輩と蟻の双方に利益となる相利共生関係である。
天敵は鳥だけではない。卵や幼虫時代に寄生蜂や寄生蠅が我々の命を奪う。吾輩の棲む安曇野市でも、人工飼育した蝶の蛹を保護区に放す活動があるが、羽化して産卵しても目赤卵蜂(めあかたまごばち)という蜂に卵が寄生されてしまうという。ただし、草刈りや野焼きによって寄生率を下げる工夫も考えられている。
ちなみに、吾輩の体は幼虫時代から完全変態を経て大きく改造されている。脚も翅も「成虫原基」から蛹の中で新たに作られる。幼虫時代の記憶の一部は成虫に引き継がれるらしいが、蟻に守られたことは忘れた。
国際自然保護連合(IUCN)のレッドリストデータベースを検索すると、3月25日時点で蝶目(レピドプテラ)の世界の絶滅危惧種は、絶滅したとされる19種を含め282種あった。脅威の最大の要因は外来種病気等他種の影響と農業開発で、自然生態系の改変、さらに生物資源利用(乱獲)がそれらに続く。しかし、乱獲と言っても蝶の餌である植物が乱獲されている例が多いようだ。
ワシントン条約で国際取引が禁止または制限されている昆虫は20項目あり、そのうちサタンオオカブトと南アフリカのマルクワガタムシ属全種以外はすべて蝶類である。トリバネアゲハチョウ属は全種が附属書Ⅱ類またはI類である。途上国できれいな蝶の標本が売られていることがあるが、野生の希少種ならば購入するのは乱獲に手を貸すことであり、死んだ標本であっても附属書掲載種を国内に持ち帰ることは規制される。
ちなみに、環境省のレッドリストに掲載されていても、国際的なIUCNのレッドリストに掲載されているとは限らない。IUCNのデータベースには、絶滅の恐れのない種や、情報不足で判断できなかった種も載っている。我々オオルリシジミ属は載っていない。我々が絶滅危惧でないという意味ではなく、IUCNへ報告が届いていないのだろう。環境省が絶滅危惧Ⅱ類と判定した岐阜蝶(ぎふちょう)は、IUCNでは準絶滅危惧と判定されている。
人間がいなければ自然は定常状態にあり、人間が改変することで損なわれると思いがちだが、そうではない。個体が不老不死でないように、生態系も自ずと移りゆくものである。
日本でも、草原は減りつつある。草原は多くの場合、手つかずの原生自然ではない。放置すれば樹木が生え、やがて森林に変わる。これを遷移という。里山の維持は、むしろ人間が手を加えて、自然の遷移を止めているともいえる。過疎化とともに、自然の遷移が進み始め、草原が失われ、松林は広葉樹林などになる。
草原を維持するために、あえて野焼きや火入れをすることがある。このような草原を「半自然草原」という。吾輩の生息地を維持してくれる上ではありがたいことだ。
ただし、自然状態でも自然発火による山火事、洪水、土砂崩れ、あるいは鹿の採食などにより、森林から草原や原野に戻ったりすることがある。これを攪乱という。生物多様性は、自然の遷移と自然攪乱のつり合いがもたらしている。これは双六に喩えられる。賽(さい)を振って駒を進めるのが遷移であり、ところどころにある「振り出しに戻る」が攪乱である。攪乱がない双六はすぐに上がりになって面白くない。遊び手が何人かいて、駒が振り出しから上がり近くまで適度に散らばるから面白い。同様に、多様な遷移段階の群落をモザイク状にそろえるには、それなりの攪乱の規模と頻度が必要だ。
当然ながら、人手をかけなくても、太古の昔から吾輩の棲み処となる草原は存在した。人間がしていることは、一方ではダムなどを作って攪乱を抑え、他方では里山維持活動などで遷移を止めようとしている。遷移と攪乱を両方止める「箱庭」の自然保護ではなく、遷移と攪乱を残しながら、それらの頻度や規模が自然状態とは違っていても、適度に遷移を止め、人為攪乱を加えて、両者のバランスをとる自然保護が奨励される。
日本の生物多様性国家戦略では、土地開発や乱獲などの人間活動を野生生物が減る「第一の危機」と見なしている。国際的にも、それが最大の脅威とみなされている。日本では1990年ころから耕作放棄地など、里山の人間活動が縮小することも生物多様性の「第二の危機」とみなしてきたが、2010年に名古屋で生物多様性条約の締約国会議を開いた頃、なかなか欧米社会や途上国には受け入れられなかった。20年代になり、人為を極力排除した生物圏の在り方を理解するだけでなく、生物多様性を維持する上での人間の役割も認めつつ、損なわれた自然を再興する運動が生物多様性条約の主題となりつつある。
山火事は昔より大規模化しているといわれる。気候変動もその要因だが、過去の火災抑制政策により、自然に発生する小規模な火災が減少し、森林に枯れ木や落ち葉が貯まっていることも原因といわれる。最近起こる山火事の多くは火の不始末など人為的なものである。
昆虫学者が少ないということもあるが、昆虫の調査では市民の役割も大きい。しかし、昆虫は種の数が多いので、種名はなかなかわからない。数え方にもよるが、昆虫は分類学者によって約95万種ほど記載されており、全生物の記載種数約175万種の半分程度を占めている。さらに、未記載種の割合も、種子植物や脊椎動物よりかなり多い。我々蝶々は市民が取り組みやすい生き物だろう。
長野県の東御市では、一度絶滅しかけた我々の生息地を「北御牧のオオルリシジミを守る会」が中心となり、地域住民や企業の協力を得て復活させた。
なぜ、昆虫の種数がとりわけ多いかについては、様々な仮説がある。4億年といわれる歴史の長さ、完全変態で幼虫と成虫で全く異なる生活をしていることにも原因があるともいわれる。新たな種の分化率が高いというよりは、絶滅率が低いらしい。多様な生活環境の中で棲み分けを図ることができるのだろう。しかし、まだ検討が続いている。
クララの上で交尾するオオルリシジミ(アルプスあづみの公園HPより)
吾輩の幼虫時代は極端な偏食だった。もっぱら眩草(くらら)というマメ科の花と蕾を食べて育つ。羽化した後はいろいろな花の蜜をあさるが、幼虫にとってクララは唯一の食糧だ。かつてクララは消炎剤やウジ殺しとして人間が使っていたが、薬剤の普及とともに利用しなくなると、雑草と同じように刈られたり除草剤をまかれるようになった。日当たりの良い草原、山野の道ばたや土手などに、大株になって自生するというが、クララも佐賀県などで絶滅危惧に掲載されている。我々にとっては極めて深刻な問題だ。
ワイン用のブドウ畑を持つキリングループは、2019年から長野県上田市陣場台地にあるシャトー・メルシャン椀子(まりこ)ヴィンヤードで、アースウォッチジャパンや地元塩川小学校と協力して、東御市で保護されているオオルリシジミが飛来するためのクララを殖やす活動を行っている。
日本自然保護協会も、安曇野市のクララの分布・植栽範囲を調査するとともに、20年に地元団体が地元住民に約2000鉢の苗を配り、植栽範囲の拡大に努めている。このような市民が担う保護活動により、本州で唯一残された我々の生息地での回復が期待される。
吾輩の生息地を、人間が勝手に農地にした時代までは、まだ良かった。畑の畦に自然にクララが生え、吾輩の棲み処は里山とともにあった。しかし、農業の近代化、そのあとの耕作放棄による草原と農地の衰退が、吾輩の食糧と棲み処を減らしてしまった。吾輩を保護する取り組みが市民レベルで行われ、国というよりは企業や自然保護団体がそれを支援している。我々の運命は依然としてかなり厳しいが、希望は捨てていない。
【謝辞】
原稿執筆にあたり、関西学院大学の江田(こうだ)慧子准教授、ふじのくに地球環境史ミュージアムの岸本年郎教授、農業・食品産業技術総合研究機構の楠本良延博士、東北大学の藤原啓一郎客員教授の助言を参考にしました。
また、原稿執筆にあたり、参考とした情報を以下の個人サイトに掲載しています。
https://ecorisk.web.fc2.com/FACTA-Froricking-Animals.html
【編集部より】本連載は不定期に掲載します。