2025年6月号
DEEP
[震源地は「関西私鉄」]
by
三山秀昭
(ジャーナリスト)
オーナー会議後の記者会見を終えて談笑する渡邉、宮内両氏(2004年7月7日)
Photo:Jiji
阪神、阪急、南海、東急、近鉄、西鉄、国鉄、西武。何が連想できるだろうか。いずれも鉄道企業で、かつてプロ野球球団を抱えていた。今では関東の西武、関西の阪神だけ。大映、東映、松竹。やはり球団を持っていた映画会社、今はゼロだ。読売、中日、毎日、西日本、産経。各新聞社が球団の親会社だったが、現在は読売と中日だけだ。
日本のプロ野球は戦前の1936年に「日本職業野球連盟」としてスタートしたが、戦争で中断。終戦翌年の46年に再スタート、49年には両リーグに分かれ、セリーグは8球団、パリーグは7球団に。58年にセパともに現在の6球団ずつとなったが、セは現在も読売、阪神、中日、広島の4球団が健在なのに対し、パはすべての球団の経営母体が交代している。そして球界に新たに参入してきたのが、ソフトバンク、楽天、DeNAというIT関連企業だ。日本のプロ野球球団史を俯瞰すると、戦後の産業構造、経済・社会の変遷が写し絵のように浮き彫りになる。
2004年夏から秋、オリックスの近鉄買収と、ソフトバンクのダイエー買収が時間差を置いて決まった。「球界再編か」「1リーグか」と大騒動になり、球界初の選手会によるストまで決行された。その間隙を突いて楽天が新規参入、結局は「2リーグ、12球団制」という「覆水」が「盆に返って」今日に至る。今はパも隆盛だが、歴史的には球界再編の震源地は常にパにあった。そして激変のドラマの大半をスポーツから最も遠いはずの日経新聞がスクープしていることも興味深い。
オリックスのオーナー退任を発表した宮内氏
Photo:Jiji
04年当時、私は巨人軍球団代表として球界史に残る「激動の渦」の中でもがき続けていた。当事者の一人として長く沈黙を保ってきた。しかし、04年の大騒動の「隠れた主役」であり、一連のシナリオを書いたオリックスの宮内義彦が34年間のオーナーを退いた。また、「たかが選手」という失言があったとは言え、巨人軍オーナー、また、プロ野球オーナー会議議長として批判の矢面に立たされ、一人「憎まれ役」を背負った渡邊恒雄が昨年亡くなった。もう「時効」だと考え、当時のファクトを徹底検証し、書き残したい衝動に駆られている。プロ野球界の合従連衡の裏面に埋もれる「真相」の「深層」を「球界再編検証ドキュメント」としてレポートする。
(敬称略。球団名、球場名、肩書は当時のまま)
ダイエーの王貞治監督と中内㓛ダイエー会長と中内正オーナー(左)
Photo:Jiji
2003年10月31日午後、ダイエーホークスの本拠地・福岡ドームに隣接するシーホークホテル。12球団のオーナー、コミッショナー、セパ両リーグ会長らが一堂に会する「オーナー会議」が開催されていた。4日前には王貞治監督率いるダイエーが阪神との激闘を制し、日本シリーズを制覇したばかりだった。
しかし、オーナー会議の議題はダイエーへの祝賀ではなく、別の「ダイエー問題」だった。当時、ホークスの親会社ダイエーは1兆7500億円の連結有利子負債を抱えていた。政府は「バブル崩壊後の金融機関の不良債権処理と経営危機の企業再建」を目的に、4月に「産業再生機構」を設立していた。この枠組みでのダイエー再建か、自主再建か、が経済界の最大関心事だった。日経は5月に1面で「ダイエー 球団売却検討 福岡を残留条件に」と特報していたほどだ。ダイエーは自主再建に拘り、銀行団は球団、球場、ホテルの「福岡3事業」をダイエー本体から切り離し、一括売却も選択肢に入れていた。
オーナー会議でホークス・オーナー中内正(ダイエー創業者・中内㓛の次男)は親会社による「確認書」を読み上げ、理解を求めた。①球団は債務超過状態、②ダイエー本社は球場を売却するが、球団への支援を継続する、③野球協約に反して球団を第三者に売却しない……などの内容。
これにオリックスのオーナー・宮内義彦が噛みついた。「ダイエー本体の経営は安定感がない。本社の名前で確認書を出すなら本社首脳がこの場で説明すべきだ」。しかし、巨人オーナー・渡邉恒雄は「本社首脳にオーナー会議の出席資格はない。確認書提出で責任を果たしている」と中内をかばった。議長役の近鉄オーナー・田代和は「確認書があり、オーナー会議として承認する。ただ、球団売却があれば、直ちにオーナー会議で審議し、確認書違反があれば球団のリーグ参加資格を失う」と警告した。この場は何とかダイエーの窮地は回避された。
巨人軍のパーティーで歓談する渡邉オーナーと長嶋監督
会議終了後、オーナーたちは隣の福岡ドームに移動した。そこでは翌2004年のアテネ五輪に出場する「長嶋JAPAN」の面々がアジア予選を前に練習していた。「ミスター」こと長嶋茂雄を監督に迎え、金メダルを目指していた。オーナーらはグラウンドに降り、監督、選手を激励しながらひと時を過ごした。しばらくして宮内が渡邉に声を掛け、バッティングケージの後ろで二人だけで話し始めた。スポーツ紙で「犬猿の仲」と取り沙汰される二人が肩を寄せ合って話し込む異様な空気に誰も近寄れなかった。後日、双方のサイドから聞いた話によると、30分近い二人の会話はこんな感じだった。
宮内「渡邉さんはなぜ、ダイエーを擁護されるんですか。本体も球団も長持ちしませんよ」
渡邉「ダイエーは日本一になったばかりだ。(世界記録の)ワンちゃん(王監督)がいる球団ダイエーは潰せないよ」
宮内「パは全球団が火の車です。何とかしないと」
渡邉「巨人も昔は赤字だった。長い努力で、今日の隆盛になった。阪神も同じだ。市民球団の広島も懸命に努力している。パはもっと努力しなきゃ」
宮内「いずれ、ご相談に上がります。パの事情をどうかご理解ください」
渡邉「巨人だけ、セリーグだけがよければよいとは思っていない。球界全体の発展が大事だよ」
これが伏線だった。時を置いて「仲人」が現れる。宮内は政府の総合規制改革会議の議長を務めていた。その関係で首相・小泉純一郎や金融相の竹中平蔵とも懇意だった。「メディア界のドン」とも言われる渡邉は小泉の靖国神社参拝やワンフレーズポリティックスには批判的だったが、時折、丸の内のパレスホテルで、竹中と金融、経済全般について夕食を共にしながら話し込む仲だった。
竹中はマスコミの目を避けるため、ホテルの地下駐車場から業務用エレベーターを使うほど神経を遣っていた。何回かの極秘会談の中でこんな場面があった。
竹中「渡邉さん、一度、宮内さんとじっくり話してもらえませんか」
渡邉「いくらでも話すよ。ただ、何でも規制を撤廃しさえすればよい、というあなたや彼の新自由主義的な考えには賛成できん」
小泉は「ダイエーが破綻でもしたら影響は小さくない。金融不安や混乱回避のために政府もできる限りの措置を講じる」と発言、竹中も不良債権問題の象徴的存在のダイエーの再建について「課題先送り型の経営計画では問題解決にならない。市場が評価する再建計画が必要」と優柔不断なダイエーを批判していた。三井住友銀行頭取の西川善文も「主力三行は政府の産業再生機構を利用することで一致している」とダイエーに決断を迫っていた。再生機構の枠組みに入れば、金融機関の貸出債権は「要管理債権」から「正常債権」に格上げされる。それは大手銀行の不良債権比率を減らしたい政府のスタンスとも一致する。
そんな状況での「宮内さんと話してくれませんか」という「仲人・竹中」の申し出に、渡邉は宮内の根回しを察しつつ「プロ野球界がダイエー問題の波及で再編されれば、国民に分かりやすい形で小泉内閣の構造改革の成果としてアピールできる。そうしたいのだろう」と受け止めた。「会うのは構わんよ」と応じた。
ここで舞台を大阪に移そう。
近鉄は04年1月31日に「球団のネーミングライツ(命名権)を年間35億円で売却する」と公表、買い主を公募し始めた。球場の命名権を時限的に売却する例はあっても球団名そのものの売却は異例のことだった。「近鉄バファローズ」が「○○バファローズ」に変わるというのだ。野球界ではキャンプインの2月1日が新年元日。この時点でセ会長を14年、コミッショナーを6年務めた川島廣守が勇退、元法務次官・根來泰周がコミッショナーに就任することが決まっていた。
その直前の、しかも突然の近鉄の提案に、ヤクルト球団社長・多菊善和は「事実上の身売りじゃないか。球場の命名権とはわけが違う」と不快感を露わにした。後に近鉄を買収することになるオリックス球団社長の小泉隆司も「こんなことが許されるのか」と激しく反発した。各球団オーナーも「直前のオーナー会議で何の説明もなく、抜き打ちだ」と批判の大合唱となり、コミッショナーに成りたての根來が近鉄に撤回を求めた。近鉄は5日後に命名権売却を断念せざるを得なかった。
球団近鉄は毎年40億円近い赤字で、それを親会社が広告宣伝費などの名目で補塡していた。しかし、親会社の近鉄もグループの連結有利子負債が「兆」の単位に膨れ上がっていた。そこで球団の赤字垂れ流し防止策として、最後の大博打の命名権売却に打って出たのだ。しかし、それも不発に終わり、近鉄は「万策尽きた」結果、「球界からの撤退」という決断に至る。
そして春先、「近鉄が球団を解散し、球界から手を引くかもしれない」。こんな極秘情報が大阪の銀行筋から宮内にもたらされた。西武オーナー・堤義明はキャンプ中の宮崎・南郷でこう豪語していた。「野球は強弱があるので面白い。弱いところが潰れた方が活性化されて発展する」
しかし、関西には特有の私鉄事情がある。関西の私鉄は阪神、阪急、近鉄、南海、京阪が大手。京阪を除く各社は球団を抱え、鉄道事業とのシナジー効果のほか、沿線の宅地開発、商業施設の展開などで収益を得ていた。しかし、そのビジネスモデルも高度成長期を経て当初の相乗効果は鈍化していた。その結果、南海、阪急が既に球団を手放していた。また、本業で阪神は文字通り大阪と神戸というカロリーの良いドル箱路線だけを運行し、その距離40キロと短い。一方、近鉄は大阪から奈良、三重を通じて名古屋まで事業展開しており、はるかに営業エリアが広い。「阪神はマラソンよりも短い距離のおいしいところしか走っていない。それでいて関西で野球となると大方がタイガースファンで、けったくそ悪い。これじゃ球団を持ち続ける意味がない」と近鉄社長・山口昌紀は関西財界人にときおりぼやいていた。
確かに1988年に阪急が球団を手放した際、オーナー・小林公平はこう語っている。「阪急にとって歌劇(宝塚)と野球(ブレーブス)はともに赤字のお荷物。ただ、歌劇は希少価値があるが、野球はもうない」。そんな事情から当時三和銀行の仲介でオリエント・リース(後のオリックス)への売却が決まった経緯がある。この阪急身売りが公表された際、近鉄オーナー・佐伯勇が「しまった。先を越されてしもた」と悔しがった、とされる。関西私鉄がプロ野球球団を抱えてせめぎ合うビジネスモデルは時代の変化とともに役割を終えていた。近鉄の球団身売りは「起きるべくして起きた決断」だったのだ。近鉄の断末魔の決断を受け、すかさず動いたのが宮内だった。近鉄社長・山口に極秘に面談を申し込んだ。
宮内「球団を売却されるのですか」
山口「いや、身売りはしない。球界から退場しようと思う」
宮内「それはいかがなものでしょうか。オリックスとの統合なら名誉ある撤退になりませんか」
実はオリックスも別の事情を抱えていた。1988年に「オリエント・リース」というあまり知られていない会社が阪急球団を買収、翌年社名を「オリックス」とした。「オリックスを全国に認知させる投資と考えれば、球団の赤字を広告宣伝費として補塡することは決して高くない」と当時は考えていた。そして阪神・淡路大震災の年は「がんばろうKOBE」で初優勝に輝き、翌年は日本シリーズを制覇した。しかし、イチローをメジャーに放出した2001年以降は成績も低迷し、集客は目に見えて落ち込んでいた。
宮内はこんな算段を巡らせた。近鉄球団が消えればマーケットとしての大阪が空く。オリックスは神戸を本拠地とするが、球場は神戸の中心・三宮から電車で20分かかる山の手の「グリーンスタジアム神戸」。集客面でハンデがあった。「近鉄の本拠地の大阪ドームは好立地で3万6千人収容、広く関西圏から集客でき、メリットは大きい」。同時に「パも経営努力しなきゃ」という巨人・渡邉の前年の言葉に対し、「パの球団数を減らせば球界再編、1リーグの道が開ける」という閃きもあった。
オリックスの宮内、球団社長の小泉、近鉄の山口、球団社長の小林哲也の4人は「大阪だと誰に見られるかわからない」と東京・港区の世界貿易センタービルのオリックス本社で会談を重ねた。近鉄は「バファローズの名称だけは残してほしい」と要求した。オリックス球団は「ブルーウェーブ」。球団発足時、公募して決めた愛称だった。しかし、近鉄の「唯一の条件」を受け入れ、近鉄との「統合」の大枠は固まった。
近鉄の山口は「4月後半に宮内さんからある意向が示され、連休明けに会って話した。お互いに球団経営が苦しく、一本化することになった」と、出会いの時期をこう語っている。しかし、これは恐らく最終合意の会談だろう。「アヒルの水かき」は3月中頃から始まっていた。
私(三山)の手帳によれば、3月18日に東京ドームホテルで小泉の求めで夕食を共にしている。当日のメモでは、超極秘情報の「宮内構想」の説明を受け、その中には「近鉄問題」もある。近鉄の命名権売却問題がご破産になり、「近鉄、球界からの退場」という極秘情報を銀行筋から知らされた宮内は、単にオリックスと近鉄との統合に留まらず、その先の「球界再編」という「宮内構想」を描いていた。巨人オーナー・渡邉に伝わることを期待しての私への事前説明だったことは確かだ。当時、私はアテネ五輪に初めてプロ中心として参加する「JAPAN」の監督・長嶋茂雄が脳梗塞で倒れ、対応で大変だったが、当然ながら時をおかずに渡邉に「宮内構想」を克明に伝えた。
そして5月27日、宮内の読売本社極秘訪問となり、「近鉄との合意」を伝えた。オーナー会議議長は持ち回りでこの年は渡邉が務めていたが、宮内の訪問は議長への根回しというよりも、「球界の大御所」の渡邉に「近鉄買収による球団減というパの努力」を伝え、猛反発が予想される阪神などセ球団への説得の懇請だった。
そして6月13日、日経新聞のスクープとなる。朝刊一面に5段抜きの大見出しで「近鉄球団、オリックスに譲渡交渉 球界再編の可能性」。1949年の2リーグ制以来の老舗球団・近鉄が球界から退場するだけに球界だけでなく、経済界にとってもサプライズなニュースだった。加えて経営危機のダイエーも球団を手放すとなれば、球団数はマイナス2。12球団が10球団となれば、1リーグへの引き金となり、日経が報じたとおり「球界再編」に繋がりかねなかった。
しかし、ここからシナリオなきドラマが進む。主役の宮内は首をすくめ、別の脇役・堤が登場、オーナー会議議長の巨人渡邉だけが世論の矢面に立つ。そして球界初のストが決行されることに……。(次号へ続く)