日本がなすべき政策は明らか。積極財政、すなわち公共支出の拡大や減税を行ない、消費需要を喚起することだ。
2025年6月号
BUSINESS
[グローバル・インバランス]
by
中野剛志
(政治経済学者)
ベッセント米財務長官と赤澤亮正経済再生担当大臣(5月1日)
Photo:Jiji
トランプ政権の関税を巡る日米交渉を担う赤澤亮正経済再生担当大臣は、日米が「Win―Winの関係を築き上げられる、そういう合意にするかということを常に考えて一歩でも二歩でも前進をしたい(https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/1885856?display=1)」と述べた。もちろん、困難な交渉になることは誰もが承知している。何が交渉のカードになりうるのか、議論百出の様相を呈している。アメリカが要求する非関税障壁の撤廃はもちろんのこと、大豆やトウモロコシの輸入拡大、果ては「日本政府が保有する米国債の売却をしないとコミットすることもカードになり得る」といった議論まで出ている。
だが、残念ながら、関税の引き下げは難しいだけではなく、仮に引き下げに成功したとしても、問題の解決にはならない。というのも、この問題の本質は、関税それ自体にはないからだ。しかし、その問題の本質を的確にとらえて対応するならば、日米がWin―Winの関係となる結果を出すことは十分に可能である。そのことを明らかにするのが本稿の目的である。
まずは、トランプ関税を巡る「問題の本質」を正確に捉える必要がある。すなわち、トランプ関税の真の狙いは、自国産業の保護だけではないのである。筆者が以前、本誌「号外速報」(4月2日配信 https://facta.co.jp/article/202504044.html)で紹介したスティーブン・ミラン経済諮問委員会委員長の「マルアラーゴ合意」として知られる論文によれば、関税の目的は、関税収入を得ることと、ドル安を誘導するための梃子とすることとあった。もし、トランプ関税の目的が関税収入なのであれば、関税を撤廃するつもりはないとみた方がよいであろう。また、ドル安が目的なのであれば、仮に関税が撤廃されても、ドル安が日本企業の国際競争力を削ぐから、結局、アメリカへの輸出は回復できないことになろう。
さらに重要なのは、ミランの最大の目的が、世界経済の不均衡(グローバル・インバランス)を発生させた世界貿易システムを再編することにあるという点である。グローバル・インバランスの是正、これこそがトランプ関税の真の狙いにほかならない。そのことは、日米の関税交渉においてアメリカの代表を務めるスコット・ベッセント財務長官の講演 (2025年4月23日 https://home.treasury.gov/news/press-releases/sb0094)からも明らかだ。
ベッセントは、こう発言したのである。
<何十年もの間、歴代政権は、我々の貿易相手国はグローバル経済がバランスするような政策を実施しているという誤った仮定を置いていた。しかし、我々が直面しているのは、アメリカの巨額で継続する貿易赤字は不公正な貿易システムの結果であるという厳然たる現実である。他国による意図的な政策選択により、アメリカの製造業は空洞化し、重要なサプライチェーンは弱体化し、我々の国家安全保障と経済安全保障を危険にさらしている。トランプ大統領はこれらのインバランスとアメリカ国民に対する悪影響に対して強力な行動を起こしたのである。この巨大で継続するインバランスの現状は、持続可能ではない。アメリカにとって持続可能ではないだけではなく、究極的には、他国の経済にとっても持続可能ではない>
ここで簡単に「グローバル・インバランス」について説明しておこう。グローバル・インバランスを理解しておかなければ、ベッセントの講演の趣旨が分からず、トランプ政権の本当の狙いも見誤ることになるからだ。
グローバリゼーションの進んだ世界において、ドイツ、中国、日本、そして韓国や東南アジア諸国といったいくつかの小国は、輸出の拡大によって経済成長を実現する「輸出主導」の成長戦略を追求した。輸出主導成長の国は、グローバルな競争を勝ち残るために、労働者の賃金をできるだけ低く抑えるようにしなければならなかった。しかし、賃金が抑制されれば消費も抑制されるから、内需の拡大には期待できない。輸出主導成長の国は、ますます外需の獲得に邁進した。
しかし、すべての国が輸出主導の成長戦略をとることはできない。貿易黒字の国があれば、その裏側に、貿易赤字の国が必ずある。その貿易赤字の国々が、アメリカやイギリス、そしてヨーロッパの周辺国である。これらの国々の経済は、消費者が債務を増やして消費を拡大することで成長していた。「債務主導」の成長である。債務の増加を可能にしたのは、発達した金融商品であった。要するにバブルが「債務主導」の成長を可能にしていたのである。その債務主導の成長を実現した最大の国が、アメリカである。
バブルが債務主導の成長を可能にしている間は、輸出主導の国々の成長も続けられる。債務主導の国々の経常収支赤字と、輸出主導の国々の経常収支黒字も持続する。これが「グローバル・インバランス」と呼ばれる現象である。
しかし、バブルは持続可能ではなく、いずれ崩壊する。バブルが崩壊すれば、債務主導の成長は不可能になり、需要を提供できなくなる。そうなれば、輸出主導の成長も実現不可能となる。グローバル経済の成長も終わる。そのバブル崩壊の最大のものが、2008年の世界金融危機、いわゆる「リーマン・ショック」に他ならない。
リーマン・ショックとは、債務主導の成長、そして輸出主導の成長が持続不可能であることを証明するものであったのだ。それは、グローバル・インバランスが持続不可能であるというのと同義である。
それゆえ、リーマン・ショック以降、グローバル・インバランスを是正することが、グローバル経済の最大の課題となった。輸出主導成長の国々は、外需の獲得ではなく、内需の成長を目指さなければならない。そのためには、賃金を上昇させる必要がある。輸出主導から内需主導・賃金主導の成長戦略へと舵を切らなければならないということだ。
ところが、中国、ドイツ、そして日本は、輸出主導の成長戦略を転換しようとはしなかった。これらの国々は、相変わらず外需の獲得に邁進し、国際競争力を強化するために、賃金の抑制を続け、内需を拡大しようとしなかった。しかし、債務主導の成長が限界に達したアメリカには、もはや、輸出主導成長の国々の需要を引き受け続けることはできない。これ以上、グローバル・インバランスを持続することはできないのである。
したがって、ドイツ、中国、日本は、輸出主導の成長をやめ、経常収支黒字を削減しなければならない。それは、アメリカ経済のためだけではなく、グローバル・インバランスを是正し、グローバル経済を持続可能とするために必要なのである。
ベッセントも、先ほどの講演において、まさにそう言っている。
<もちろん、貿易だけがグローバル経済のインバランスの要因ではない。アメリカの需要への過度な依存が続いていることが、グローバル経済のさらなるインバランスという結果を招いている。ある国々の政策は、民間セクター主導の成長に背を向けて、貯蓄を過剰に奨励するものである。ある国々は人為的に賃金を押し下げ、成長を抑圧している。これらの政策が、アメリカの需要に依存したグローバルな経済成長をもたらしている。これらはまた、グローバル経済をより弱らせ、より脆弱にしているのである>
べッセントの念頭にあるのは、アメリカの経常収支赤字の削減であるが、その目的はグローバル・インバランスの是正であり、関税はそのための手段だということである。
そうだとすると、トランプ関税は、単なる利己的なアメリカ第一主義や、世界に背を向けた孤立主義ではないということになる。それは、グローバル・インバランスの是正という世界共通の課題の解決に向けた政策なのである。
もちろん、トランプ関税がグローバル・インバランスを是正する上で適切な手段であるか否かは、議論の余地がある。しかしながら重要なのは、グローバル・インバランスの是正というトランプ政権の政策目的自体は、正しいということだ。間違っているのは、輸出主導の成長戦略を転換しようとしない国、すなわち中国やドイツ、そして日本の方である。
輸出主導から内需主導へと成長戦略を転換するということは、賃金が上昇し、消費が拡大することで成長する経済へと変革するということである。それこそ、日本が目指すべき経済の姿であろう。「失われた三十年」とは、賃金と消費の停滞の三十年にほかならない。「失われた三十年」から脱却するということは、賃金主導そして内需主導の成長を実現するということだ。
輸出主導から内需主導への成長戦略の転換とは、経常収支赤字の削減を望むアメリカのためだけではなく、日本のためでもある。それは、赤澤大臣が目指す日米の「Win―Winの関係」を築くということだ。さらに言えば、グローバル・インバランスの是正という世界共通の問題を解決するためでもある。
では、内需主導の成長を実現するためには、どのような経済政策が必要になるのか。そのための政策手段は様々あるが、最も強力なのは、言うまでもなく積極財政である。ベッセントも、講演の中で、ヨーロッパが最近、積極財政へと大きく舵を切ったことを高く評価している。
<ヨーロッパでは、マリオ・ドラギ前ECB総裁が停滞の諸原因を特定し、経済を正常化させる諸提案の概要を示した。ヨーロッパ各国は彼の提案をよく肝に銘じるとよいであろう。(中略)安全保障のパートナー国は、互恵的な貿易と整合的な経済構造となりやすい。もしアメリカが安全保障と開かれた市場を提供し続けるならば、我々の同盟国は、防衛の分担により強く関与しなければならない。財政支出と防衛支出を増やそうとヨーロッパが率先して行動を起こしたことは、トランプ政権の政策が功を奏している証拠である>
ベッセントが言及するドラギの提案というのは、2024年9月に公表された報告書「ヨーロッパの競争力の未来」(ドラギ・レポート)のことである。その中には、大規模な産業政策に加え、EU加盟国の総需要を拡大するための財政政策が含まれていた。ドラギは、年間で最低7500億ユーロから8000億ユーロの追加の公共投資が必要だとする試算を引用しつつ、財源としてEU共同債の発行を提案した。
また、25年3月19日、ヨーロッパ委員会は「ヨーロッパ再軍備計画」の詳細を明らかにした。それによると、加盟国は25年からの4年間、特定の軍事関連支出については、最大GDP比1.5%まで可能となるよう財政規律が緩和される。また、EU予算を担保とする加盟国向けの新たな融資制度として、一定の条件の下で最大1500億ユーロの融資が可能となる「ヨーロッパの安全保障行動(SAFE)」も示された。
財政規律を重視してきたEUが、積極財政へと大きく舵を切ったのである。積極財政は、防衛支出も含めて、国内の需要を拡大するので、賃金の上昇を誘発し、最終的には消費需要も喚起する。それは、輸入を増やし、貿易黒字を縮小する効果をもたらし、グローバル・インバランスの是正に貢献する。ヨーロッパの歴史的な転換をベッセントが高く評価したのも当然であった。
日本がなすべき政策は、明らかであろう。積極財政、すなわち公共支出の拡大や減税を行い、消費需要を喚起することである。
最近、参院選を前にして、与野党の間で消費税減税を巡る論戦が活発に行なわれている。これは、物価高対策や生活支援のためとして議論されている。しかし、消費税減税は、強力なトランプ関税対策でもある。それは、アメリカが消費税(付加価値税)を非関税障壁とみなしているからという矮小な話ではない。日米の「Win―Winの関係」を築き、グローバル・インバランスという世界共通の課題の解決に貢献するための政策になり得るのだ。そう説明すれば、ベッセントは日本を高く評価するであろう。
もっとも、日本が積極財政に転じたからと言って、日本に対する関税が引き下げられるとは限らない。その場合、日本の輸出企業は、アメリカの市場を失うという打撃を受ける。しかし、積極財政による内需拡大は、代替となる国内市場を輸出企業に提供し、その被害を緩和するであろう。
ならば、なぜ、財政支出の拡大や減税を行わないのであろうか。言うまでもなく、日本の財政は危機的であり、財政規律を守らなければならないと信じ込んでいるからだ。
しかし、変動為替相場制の下において、アメリカや日本のように自国通貨を発行する政府が、自国通貨建て国債の返済ができなくなる(デフォルトする)ことはあり得ない。これは、MMT(現代貨幣理論)に固有の主張ではなく、日本の財務省ですら認めていることだ。
日本の財政の破綻はあり得ないならば、予算の収支均衡を基準とする財政規律は、必要なくなるはずである。では、日本の財政は、どう運営すべきか。それは、「機能的財政」によるべきである。すなわち、財政支出や課税は、経済に及ぼす影響を基準として決定するのだ。
この機能的財政の基準に従うと、現在の日本は、消費や投資が不足している(だから貯蓄過剰となり、経常収支が黒字なのだ!)ので、日本は、財政支出の拡大や減税を実行できるし、また実行すべきだということになる。
積極財政(機能的財政)への転換さえ実現できれば、トランプ関税という国難に対応できる。いや、「国難」どころか、賃金主導の成長を実現し、さらにはアメリカと手を携えてグローバル・インバランスの是正に貢献する「好機」にすらなる。だが、今のところ、その千載一遇の「好機」を頑迷な財政規律論が潰している。
日本は決定的なカードを持っている!(首相官邸HPより)
財政は、国家政策の根幹である。その財政についての理解が間違っていれば、通商政策も含めてすべての政策を間違えるのだ。この財政論の誤りに関連して、冒頭の「米国債を売却しないというコミットメントは、交渉のカードになる」という見解についても述べておこう。
この見解を唱える者は、日本政府が米国債を購入してアメリカ政府をファイナンスしているので、米国債を売却せずにその価格を維持することで、アメリカに恩を着せられるとでも考えているのであろう。だが、ミランの「マルアラーゴ合意」が求めているのは、米国債の売却によるドル安である。しかも、そのドル安で困るのは、日本政府が守ろうとしている自国の輸出産業なのだ。ならば、米国債の売却が交渉カードになるはずがない。
しかも、アメリカが米国債の価格を維持したければ、日本政府が売却した米国債を、中央銀行であるFRB(連邦準備制度理事会)が購入すればよいだけの話である。米国債を売却されても、アメリカは何の痛痒も感じない。
そもそも、日本政府は、米国債を購入してアメリカ政府をファイナンスしてなどいない。ドルを発行できない日本政府が、ドルを発行できるアメリカ政府をファイナンスできるわけがない。日本政府が米国債を購入しているのは、保有するドル準備を運用したいからに過ぎない。つまり、アメリカ政府のためではなく、自分のためなのだ。「日本がアメリカをファイナンスしている」という勘違いの元もまた、財政に関する誤解である。
米国債は、対米交渉カードにはならない。しかし、日本は決定的なカードを持っている。それが積極財政だ。しかし、財政に関する誤解ゆえに、それがカードになるとは気づいていない。
財政を正しく理解しない限り、国益を守ることはできないのだ。