「日本愛溢れるナイスガイ」とか「大親日家」とか、頭がくらくらする。まるで「学級新聞」の豆記者。
2025年9月号
POLITICS
by
滝田洋一
(名古屋国際大学特任教授)
ラトちゃん(左)の紹介でティム・クック(右)と記念撮影
ひとつ課題を解決したと思ったら、その解釈をめぐって新たな難題が持ち上がる。まるで遊園地の「鏡の迷宮」のような日米関税交渉が続いている。赤澤亮正経済財政・再生担当相ばかりでなく、日本全体にとってもその先の出口が見えない。
「任務完了」。日本時間7月23日午前8時55分、関税交渉のためワシントンを訪問中の赤澤大臣はXにこうポストした(https://x.com/ryosei_akazawa/status/1947807828615254102)。日本に対する相互関税の税率を、ドナルド・トランプ米大統領の言い値である25%から、15%に抑えることができた。そんな高揚感が漂っていた。
だがこの合意を巡って間もなく日米間に齟齬が生じる。日本側は既存の関税率が15%以上の品目には15%の相互関税を上乗せせず、15%未満の品目は既存の関税率を含め15%が課される――つまり15%がすべての上限になるとの認識だった。
ところが米国が8月6日に発行した連邦官報は、こうした特例措置を適用したのは欧州連合(EU)に対してだけ。日本への適用は記載されず、既存の税率に15%が上乗せされる形に。すでに米国側の官報の原案が公表された時点で蜂の巣をつつく騒ぎになっていた。
8月5日に押っ取り刀でワシントンに飛んだ赤澤大臣は、6日にハワード・ラトニック米商務長官と約90分間、7日には同長官と約3時間、スコット・ベッセント米財務長官と約30分間にわたり会談した。現地時間7日、赤澤大臣は現地で記者団に「相互関税上乗せで米が修正」と語った。
その尽力には頭が下がる。氏を交渉担当に任命した石破茂首相とは別の意味で、赤澤大臣は鋼のメンタルの持ち主かもしれない。「本日、#米国商務省 に #ラトちゃん を訪ねました。ラトちゃんが人を紹介したいと言うので記念撮影しました。有名な人らしいです」(https://x.com/ryosei_akazawa/status/1953152261154034162)
赤澤大臣は日本時間8月7日午前2時52分、Xに写真付きでこうポストした。「ラトちゃん」とはラトニック商務長官、「有名なひとらしい」というのはティム・クック・アップル最高経営責任者(CEO)。剣が峰の交渉の最中にこんな発信できるのはただ者ではない。
日本時間8月8日午前9時9分のポストはこうだ。「日本愛溢れるナイスガイ、#ラトちゃん との話し合いは割と上手く行きました。大親日家の #ベッちゃん とも旧交を温めました」(https://x.com/ryosei_akazawa/status/1953609433441087987)。
ベッちゃんと旧交を温めた赤澤大臣
この「ベッちゃん」がベッセント長官なのはいうまでもない。
猛暑が続くせいもあろうが、ここまで引用するうちに、頭がくらくらしてきた。「日本愛溢れるナイスガイ」とか「大親日家」とか、まるで「学級新聞」の豆記者ではないか。ベッセント長官を7月19日に大阪・関西万博でエスコートしたことが念頭にあるのだろうが、「旧交を温め」とはどんな言語感覚だろう。
ひょっとすると、赤澤大臣と石破首相はまたとない名コンビなのかもしれない。4月の1回目の日米関税交渉。トランプ大統領がいきなり交渉のテーブルに現れたのに驚き、自らを「格下も格下」と表現した赤澤大臣。かたや「国難」と「国益」を繰り返し、「なめられてたまるか」とまで獅子吼した石破首相。
ボケとツッコミよろしく、ゆるキャラの赤澤氏と強面の石破氏を使い分けているのだろうが、そんな手法が通用するのは国内向けだけである。相互関税の軽減措置を巡って「米政府側が大統領令を修正すると説明した」はずなのに、赤澤大臣は帰国後の8月9日には羽田空港で記者団にこう述べた。
「引き続き米側に可及的速やかに修正措置をとるよう、あらゆる形で強く申し入れる」。要するに「修正措置」つまり大統領令をいつ発令するかの時期が詰まっていないのだ。その間にも8月7日に発動されたトランプ税率、つまり「既存税率+15%」は日々のしかかって来る。
合意→見解の齟齬→再交渉。修正措置→再度の申し入れ……。これでは出口にたどり着いたと思ったら、また元の場所に戻ってしまうという鏡の間、ハッキリ言って無限ループのようなものではないか。
日本側にとって最大の問題は自動車関税である。4月3日に発動された自動車関税は「既存税率+25%」つまり2.5%+25%=27.5%となっている。
日本側が勝ち取ったはずの7月22日の日米関税合意では、この自動車関税も15%に引き下げられるはずだった。ところが肝心の相互関税の例外措置が実現しないままとあって、この自動車関税の引き下げも凍結されたまま。27.5%から15%への税率引き下げは、絵に描いた餅である。
日本の大手自動車メーカー7社は今年4~6月期にトランプ関税で合計7800億円、1日当たり85億円あまりの損失を被った。ゴールドマン・サックス証券の試算によると、自動車関税が27.5%から15%になれば26年3月期の日本車メーカー7社への関税の影響は、3兆4700億円から1兆8900億円に軽減する。だが自動車関税の税率引き下げが実現しない状況のままだと、その差額分の損失が発生し続ける。
「(修正まで)半年や1年ということはあり得ない」と赤澤大臣はいう。ということは、修正は今日明日ではない。しかも修正時期を判断するのは米国側、つまりトランプ大統領である。赤澤大臣が「ラトちゃん」「ベッちゃん」とその都度協議するのはよいが、肝心の石破首相の姿はどこにあるというのだろうか。
今回の日米関税合意は合意文書を残していない。なまじ合意文書にこだわると、まとまるものもまとまらない、というのが日本側の釈明だった。これは何かを合意しても、最後の最後になって大統領の機嫌を損ねたら、ちゃぶ台返しに遭うといっているのと同じだ。そこまで言うなら、責任感旺盛な首相が、自身で乗り出すほかない。現状のままだと、米国側が勝手な解釈をほしいままにして、日本側が振り回される展開が繰り返される。
半導体や医薬品への関税はその一例だ。トランプ大統領は8月6日、半導体に「およそ100%の関税をかける」と表明した。欧州連合(EU)の場合は米国との間で、半導体と医薬品の関税について15%で合意している。日本は「税率の一番低い国と合わせる」と最恵国待遇で合意したことになっているが、相互関税の際と同様なドタバタが繰り返されない保証はない。
5500億ドルの対米投資についても、食い違いが残っている。この5500億ドルは「我々が好きなように投資できる資金」。「野球選手が契約時に受け取る契約金のようなもの」。トランプ大統領は8月5日、米CNBCのインタビューでこう言い放った。
日本側の説明では政府系金融機関による出資・融資・融資保証枠、具体的には国際協力銀行(JBIC)の投融資や政府保証ということになっていた。「契約時に受け取る契約金」というトランプ氏の認識との溝は明らかだろう。今後、投融資先にトランプ案件が次々と顔を出したら、日本政府はどう釈明するのだろう。
さらに気がかりなのは「大親日家のベッちゃん」が、3カ月ごとに行う合意内容の履行状況のチェックだろう。ベッセント長官は7月23日、米FOXニュースのインタビューで、3カ月ごとの精査で日本が合意条件を順守していなければ関税率を25%に戻す、と明言しているのだ。
日本の経済運営がトランプ政権によって四半期ごとに精査され、基準に満たなければ制裁を受ける。しかも合意内容には認識の溝があり、その解釈権はトランプ政権側が持つ。これが「国益」を主張し続けた政権による交渉の結果である。仮に党内野党時代の石破氏だったら、今回の交渉をどう評価するのだろうか。