プロロジス日本法人CEO 山田御酒氏に聞く!/先端物流の「元祖」が説く/「早く失敗しろ」がモットー!

2026年2月号 BUSINESS [トップに聞く!]
by 山田 御酒 (「物流不動産」のパイオニアプロロジス日本法人会長兼CEO)

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1976年総合建設会社フジタ工業(現フジタ)入社。国際事業部長、営業本部営業統括部長を歴任。2002年プロロジス入社、04年シニアバイスプレジデント兼日本共同代表。09年プレジデント兼CEO、11年社長、22年より現職。1953年生まれ。県立山口高校卒、早大商卒。

世界最大の「物流不動産会社」の米プロロジス。物流施設を開発・運営・所有し、賃貸で収益を得るビジネスモデルで、業界に風穴を開けた。1999年に設立された日本法人も、先進的な物流施設を次々と開発し、今では日本のスタンダードとなっている。

成長を牽引してきた山田御酒会長兼最高経営責任者(CEO)に今後の展望や若い世代への熱いメッセージを聞いた。

――20年に渡り物流不動産をリードしてこられたが、プロロジスとの出会いは?

山田 大学時代は早稲田英語会(WESS)に入り、活動に打ち込んでいました。卒業後、フジタに入社しました。26年在職し、イラクや米国、英国で計18年勤務しました。バブルが崩壊し、海外事業のリストラが落ち着いた頃、営業先だったプロロジスの元CEOのジェフリー・シュワルツ氏に熱心に誘われ、入社を決断しました。フジタ時代の米国駐在時に不動産投資信託(REIT)の組成や不動産の証券化などに携わり、将来、日本でも物流不動産が拡大すると思っていました。

――当初は苦労も多かったようですね。

山田 2002年に入社した当時は社員が10人前後でした。03年に東京都大田区に初めてランプウェイをらせん状にし、各階にアプローチできる多層階施設を竣工しましたが、平屋が一般的な米国の本社を説得するのに苦労しました。ランプウェイ付き物流施設の展開で、日本事業は軌道に乗りましたが、リーマン・ショックで大変な目にあいました。業績は悪くなかったのですが、不動産会社のため、借金が多く、09年に日本の資産の大半をシンガポール政府投資公社に売却しました。それで株価が持ち直し、米国2位のAMBプロパティコーポレーションとの合併話が浮上しました。プロロジスはAMBより規模が4倍でしたが、11年6月に共同CEOを置き、対等合併する形になりました。

――屈辱的な対等合併に腹がたった?

山田 11年の正月に初めて、AMB共同創業者のハミード・モガダム氏(現プロロジスエグゼクティブチェアマン)に会いました。ライバル会社のトップで「お前とは仕事をしない。新しい会社を作って、ぶっ潰してやる」と啖呵を切りました。その時に「大丈夫だ。お前のやることには口を出さない」と言ってくれました。それから15年が経ちますが、一度も「(モガダム氏は)俺の言うことを聞け」とは言っていません。ある事案で、他の役員が反対しても「お前らは日本のことを山田よりもわかっているのか、誰か代わりに行く人間はいるか」と援護してくれると、みんな黙ってしまいます。

彼はペルシャ人で、私に「アジア人同士で一緒にやろう」と言ってくれます。意見が違うこともありますが、最後は応援してくれる。だから、彼のために命がけでやらないといけない。そういう信頼関係があります。彼と出会えて、私は本当に幸せでした。感謝しています。

命からがらのイラク出国体験

山田御酒会長兼CEOは、先進的な物流施設を次々と開発してきた。

――波乱万丈な人生ですが、そのタフさは、どこから来ているのですか。

山田 25歳の頃に味わったイラクでの経験が大きいです。当時、フジタはイラク北部の油田の町、キルクーク市で工科大学の建設を進めていました。イラン・イラク戦争が始まり、キルクークは毎日、イランから空襲を受けました。日本人と東南アジアのスタッフ70人以上を無事に本国に戻さないといけませんでした。ビザなしで、隣国のヨルダンにどう脱出するのか、25歳の若者が真剣に考えました。銃撃を受けながら、命からがら出国し、鮮烈な経験でした。その後に起こるバブル崩壊、リーマン・ショックも、別に命を取られるわけではないと何とも思いませんでした。20、30代の海外経験は、私の大きな財産になっています。

――若い世代に伝えたいことは。

山田 苦労を買ってでもしろと言いたいです。修羅場をいかに経験するかが重要です。特にリーダーや経営者を目指す人は若い頃に苦労した方が良い。最近は日本企業も将来の幹部候補生に子会社や取引先の経営を経験させています。安定的な組織の中で育った人が経営者になると、守りに入る傾向があるため、会社は成長しにくい。若い人には自ら苦労に飛び込むぐらいの気概を持って、どんどん挑戦してほしい。

――失敗の経験が人材を育てる?

山田 私も多くの失敗を経験してきました。口をすっぱくして「早く失敗しろ」と言っています。そこで、転んで早く起き上がるのが大事だと思う。日本法人はランプウェイ付き物流施設をはじめ、カフェ、託児所、免震装置、太陽光パネルなどを設置した前例のない先進的な施設を作り、新たなマーケットを切り拓いてきました。サントリーの「やってみなはれ」の精神がプロロジスの中にもある。今は「DX(デジタル・トランスフォーメーション)」に力を入れていますが、早く失敗を経験して、正解を見つけようと呼びかけています。

中長期的に自動化が戦うべき方向

――新型コロナウイルス禍で、電子商取引(EC)の需要が急拡大し、物流施設は供給過多の状態となっています。

山田 2020年以降の3年間で、新規デベロッパーの参入が相次ぎ、今はプレイヤーが100社以上に上ります。供給量が増え、首都圏の空室率は10%を超えている。インフレの影響で、建設コストが高騰し、賃料を高くせざるを得ず、お客様が施設を選ぶ目は厳しくなっています。今年は需給バランスを取りながら、供給が減っていき、27年頃に落ち着くと見ています。

――プロロジスの空室率は。

山田 97、98%が埋まっています。これまで顧客との対話を重視し、ニーズに合わせた開発を行ってきました。例えば、10トンの大型トラックが施設に円滑に入れるようにしたり、適切な場所に昇降機を置くなど、立地の良さや使いやすさにこだわってきました。国内で121棟(延床面積820万㎡)の開発実績があり、20年以上にわたり、蓄積してきたノウハウがあります。そこが新規参入組との大きな違いで、空室率の低さに反映されています。

――建設費高騰に対する新たな戦略は。

山田 従来のような常温倉庫だけでは事業的に厳しい。お客様の課題解決を支援するソリューション提供や、付加価値の高い施設の開発に力を入れています。冷凍冷蔵や危険物、都市型の小さな倉庫が一例です。また、ドライバーの時間外労働の上限規制を設けた物流の「2024年問題」が始まり、盛岡市や金ケ崎町、郡山市、岡山市に中継機能を持った施設を開発しました。中長期的に自動化が戦うべき方向だと考えています。

(聞き手 本誌副編集長 黄金崎元)

著者プロフィール

山田 御酒 (Yamada Miki)

「物流不動産」のパイオニアプロロジス日本法人会長兼CEO

1976年総合建設会社フジタ工業(現フジタ)入社。国際事業部長、営業本部営業統括部長を歴任。2002年プロロジス入社、04年シニアバイスプレジデント兼日本共同代表。09年プレジデント兼CEO、11年社長、22年より現職。1953年生まれ。県立山口高校卒、早大商卒。

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