「ドジョウ宰相」は二度死ぬ/代表選は「理屈っぽいSNS弱者」の一騎打ち/秘書ら失職は500人超/「先立つものがない火の車」

号外速報(2月11日 08:30)

2026年2月号 GLOBAL

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投開票日の野田佳彦氏(中道改革連合の開票センターで。写真/宮嶋巌)

最大野党の消滅――。

野田佳彦代表率いる立憲民主党が衆院選公示直前に公明党と合流して新党・中道改革連合を立ち上げ、高市早苗首相率いる自民党を窮地に追い込むかと思われたのも束の間、2月8日の投開票で議席を3分の1以下に減らす壊滅的敗北を喫するまでの一部始終は、政権交代の受け皿とされてきた党が消滅する瞬間に立ち会っているようだった。

野田氏は公明党出身の斉藤鉄夫氏と共に責任を取って共同代表を辞任し、13日には新代表が選出されるが、大きな流れは変えられないだろう。

「民主党時代が終わった。民主党政権の幹部、大臣を経験された方が軒並み落選されていることは本当の意味で、民主党の時代が区切りを迎えたんだなと思います」

立憲民主党と同様に、1990年代から続いた民主党を源流に持つ国民民主党の玉木雄一郎代表は、中道新党の安住淳共同幹事長(元財務相)、岡田克也元外相、小沢一郎元民主党代表ら民主党時代からの大物議員の落選が確実という報道に、こう感慨を漏らした。玉木氏自身、2009年の初当選時は民主党から出馬している。

「公明に譲り過ぎ、安売りだった」

54歳の若さで首相に就任した当時の野田氏(同氏のHPより)

中道新党は、全国の小選挙区で苦戦が伝えられていた8日夜、共同幹事長の安住氏ら幹部が相次いで選挙センター入りをキャンセル。当選者の名前に花をつける恒例の行事も急遽取り止めになった。

開票の結果、中道新党は公示前に167だった議席数が49議席に激減する歴史的大惨敗。立憲民主党系議員は公示前の144人から85%減の21人まで減った。

一方、公明党系議員は21人から28人に議席を増やした。比例代表の公明党系議員を名簿上位に登載する「不平等条約」があったためだが、立憲民主党の一人負けだった。

一夜明けた9日の記者会見で、野田氏は「役割分担の中で(立憲民主党系が選挙区、公明党系が比例代表という)組み合わせになった」と弁明した。

だが、落選した立憲民主党系議員からは「公明に譲り過ぎ、安売りだった」と怨嗟の声が漏れた。

もっとも、野田氏が党を壊滅状態に追い込むのは、今に始まったことではない。

民主党代表として宰相の座にあった2012年11月、当時の安倍晋三・自民党総裁と党首討論を行い、衆院解散・総選挙に踏み切る考えを表明した。

討論では、プロレス好きで弁舌巧みな野田氏が、国会議員の定数削減を突然突きつけ、安倍氏を戸惑わせる場面もあった。

翌12月に行われた衆院選は蓋を開けてみれば、民主党は公示前の約4分の1の57議席に落ち込む歴史的な大惨敗。奇しくも自民、公明両党は、今回の衆院選の自民党同様、定数の3分の2の議席を確保した。民主党政権は瓦解し、それ以降、万年野党となってきた。

「器がダメとしか言いようがない」

「ちょっと時代遅れ感のあるコンビだったかもしれない」(野田氏)

「政府や党で働いてくれた同志、将来が嘱望される有為な人材を数多く失った。痛恨の極みだ。政治は結果責任。厳しい敗北に至った最大の責任は党の代表である私にある」

当時、野田氏は代表辞任を表明した記者会見で謝罪した。

そして再び、野田氏は今回の惨敗にあたり、「全ては結果責任。これだけの大敗を喫した責任は代表である私の責任が大きい。万死に値する」とうなった。

11年の民主党代表選で自身を金魚ではなく泥臭いドジョウになぞらえ、「ドジョウ宰相」と呼ばれた野田氏。自衛官の家に生まれ、「地盤(組織)・看板(知名度)・カバン(資金)」はなく、大臣になっても毎朝、地元の駅前で辻立ちする姿から、愚直で手堅い人柄とみられてきた。

銃撃事件で死去した安倍氏に「勝ちっ放しはないでしょう」と呼びかけた追悼演説は与野党の称賛を浴びた。

本人が言うように「政治は結果」であるなら、当時の政権与党・民主党、そして政権交代を狙う野党第一党だった立憲民主党を、2度も代表として壊滅状態に追い込んだことは組織のリーダー、経営者としての資質に疑問を抱かざるを得ず、責任は限りなく重い。

野田氏は今回の衆院選で惨敗後、記者からリーダーとしての自身の器を問われ、「結果を出せないということは、器がダメとしか言いようがない」と認めざるを得なかった。

まさに歴史は繰り返す。1度目は悲劇、2度目は喜劇として――。

「古めかしい永田町」の象徴

「結果を出せないということは、器がダメとしか言いようがない」(野田氏)

「起死回生の一手だったはずがなぜ……」

選挙期間中、報道各社の情勢調査で「与党圧勝」が伝えられるたび、野田氏は自問自答したに違いない。

失敗の理由は、これまで築いてきた立憲民主党の看板をかなぐり捨て、公明党の支持母体・創価学会の使う仏教用語(中道)を党名に冠した時点で明らかだったように思える。

立憲民主は散々、ネット上で「何したい政党なの?」と揶揄されてきたが、衆院選公示直前の合流は「選挙目当て」にしか見えず、打ち出した政策も中身がなかった。

自分たちも「ちょっと時代遅れ感のあるコンビだったかもしれない」と振り返ったように、68歳の野田氏や74歳の斉藤氏ら「5爺(G)」は「古めかしい永田町」の象徴のように映った。

公明党側に寄せた安全保障政策やエネルギー政策も政権担当能力をアピールするというより与党の焼き直しと捉えられ、旧来の支持層の離反につながった。

企業合併の場合、お互いの弱点を補い、それぞれの強みを活かす「シナジー効果」という明確な目的がある。若者の支持率「0%」という立憲民主党と、創価学会員の高齢化に直面する公明党の合流に確かな目論見があったのか。

無党派の若者・現役世代の支持が高まるとは思えない。結局、各選挙区1~2万票とされる創価学会の集票力も立憲民主の支持母体である連合の支援も、「高市旋風」の前に塵のように吹き飛ばされた。

議員秘書ら失職者は500人を超える

初当選同期で胸襟を開く仲の野田、斉藤両氏が腹を合わせ、新党結成を決断した。「二人のケミストリー合致がスピード合流の全てだった」と中道関係者は言う。

歴史にIFはないとはいえ、20代30代に支持され、同じく連合の支援を受ける国民民主と連携していたら、選挙の結末は違っていただろう。

アガサ・クリスティの代表作のように、安住氏や岡田氏、元代表の枝野幸男氏ら立憲民主党系の衆院議員123人が国会から、誰もいなくなった。

残されたのは落選した議員の公設・私設の秘書や首筋が寒い本部の職員たち。失職者は500人を超えるだろう。

立憲民主党は毎年約80億円、公明は約30億円の政党交付金を受け取ってきたが、123人が落選した中道の政党交付金は激減。会社組織に譬えたら、事実上の破産状態だろう。

現在、立憲民主党本部に同居する中道新党はどこに本部を構えるのか。固定費(人件費、家賃、通信費、活動費)が重くのしかかる。「先立つものがない火の車」と中道関係者は呻く。

来年4月に統一地方選、再来年には参院選を控え、立憲民主党の議員らは中道新党への合流をためらい始めている。そもそも49人の当選議員が新代表の下で結束を保てるのか、分裂含みだ。

参院に残った立憲民主党と公明党へ、それぞれ元の鞘に収まったり、集団離党したりする可能性も囁かれている。

野田氏が「しっかり維持していきたい」と語った中道新党の種火は、今にも消えそうに見える。

「理屈っぽいSNS弱者」の一騎打ち

「SNS弱者」の一騎打ち。階猛氏(右)と小川淳也氏

中道新党は11日、議員総会を開き、13日に代表選を行うことを決めたが、衆院選で比例名簿の上位を独占した公明党系が全員当選したことに不満が続出、陰鬱な空気が支配した。

次期代表本命と目された泉健太氏が不出馬を表明したため、小川淳也元幹事長と階猛氏の一騎打ちとなった。政治活動がオールドメディアからSNSに移行する中、両氏のSNS弱者ぶりが浮き彫りになる出馬会見となった。

ちなみに高市首相のXフォロワーは270万、維新の会の吉村洋文代表は136万、国民民主の玉木雄一郎氏は80万。小川、階両氏のそれは10万未満。ネット上では「理屈っぽく、話が長い」、「どっちが代表になっても誤差」、「戦う前に詰んでいる」と揶揄されている。中道新党の40歳未満の支持率が上がることはないだろう。

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