原発への危惧が的中 天仰ぐ「冤罪」前知事
佐藤栄佐久
前福島県知事
2011年5月号
[インタビュー]
by インタビュアー 高瀬文人
佐藤栄佐久
(さとう えいさく)
前福島県知事
1939年、福島県郡山生まれ。東京大学法学部卒。日本青年会議所副会頭を経て83年に参議院議員、87年に大蔵政務次官。88年に福島県知事に当選し、5期目に収賄疑惑で辞任、逮捕起訴された。全面否認したが一、二審とも有罪判決が出て最高裁に上告中。著書に『知事抹殺』(平凡社)。
――「そのとき」どうしていましたか。
佐藤 郡山の自宅の居間で、突然、携帯電話の緊急地震速報のアラームが鳴りました。家内と庭に飛び出したとたん、立っていられないほどの揺れとなり、隣家のブロック塀が大きくたわむのが見えました。長い揺れが収まって家の前に出ると、小学校5年生ぐらいの男の子がおびえて泣きながら歩いて来るので「大丈夫だ」と元気づけてあげましたが、巨大地震の異様さが実感としてじわじわと押し寄せてきました。
――不幸にして知事時代に懸念されていた原発事故のリスクが現実のものになりました。
佐藤 まさか、これほど大きな事故になるとは……。正直、最初は三陸の津波ばかりに目が行き、原発にすぐ結びつけて考えることはできませんでした。なにしろ「いかなることがあっても原発は大丈夫」と宣伝漬けでしたから。国の原発政策と対峙し続けてきた私でも心の奥底には信頼があったのですね。1号機・3号機建屋が水素爆発で吹っ飛ぶ様子など、悪夢を見ているようでした。
――原発周辺の住民の長期避難や風評被害で、福島県全体が壊滅の危機にあります。
佐藤 「どのくらい危ないのか」と知人からの問い合わせが私に殺到しました。長期避難で避難所のストレスは極限状態。このようなときリーダーは、全知全能をかけて危機管理に当たり、決断しなければならないと思うのですが、それが行われず、国中がパニックに陥っているのではないかと憂慮しています。
そこのけ、そこのけの原発政策
――“Fukushima”は、世界中が固唾を呑んで注目する場所となりました。
佐藤 稼働中の原子炉3基の格納容器や使用済み核燃料プールからの放射能漏れがいっぺんに起こる事態は、福島県の事故想定にもありません。地震や津波は天災ですが、今回の原発事故は「人災」とはっきり言えます。
福島原発40年の歴史の全てで、地元福島県はないがしろにされ裏切られ続けてきました。東京電力と経済産業省によって日本の原発政策は「そこのけ、そこのけ」で進められ、プロセスとガバナンスとが可視化されることはありませんでした。原発の安全性を監視する立場の原子力安全・保安院が、原発を推進する経産省の傘下にあるのはおかしい。私は知事在任時代、そう主張し続けてきましたが、そのツケはあまりにも大きすぎました。
保安院が発足したのは2001年ですが、02年8月に圧力容器や配管の故障やヒビ割れを隠すための点検記録のごまかしが長年行われていたことが発覚しました。なんと保安院は現場からの内部告発を2年間も放置したあげく、「こんな告発が来ましたがどうですか?」と名前入りで東京電力に横流ししていたのです。県は断固として県民を守る施策をとったため、その後は県に内部告発が集中しました。「福島県なら間違いなく処理してくれる」と現場で噂になっていたほどです。
今回も3月24日に福島第一3号機で、電源ケーブル復旧作業中の東電協力会社の作業員3人が、足元まで水に浸かって被曝する事故が起こりました。このような作業では必ず線量を計る担当者がつく決まりなのに、この期に及んでも実行されていない。私が在任中に寄せられた内部告発のなかには「東京電力の社員が所内の作業を監督していない」「放射線管理責任者が現場にいない」といったものがあり、今は天を仰ぐような気持ちです。
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