インタビュー/三井住友フィナンシャルグループ社長 中島 達氏(聞き手/本誌 宮嶋巌)

太田さんの衣鉢を継ぐ「突き抜ける勇気。」

2024年4月号 BUSINESS [リーダーに聞く!]

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1963年生。東大工学部卒。86年旧住友銀行入行。米国留学を経て経営企画、リテール、ホールセール各部門を経験し、19年グループCFO兼CEO。前任の太田純氏の急逝により23年12月1日より現職。

――11月25日に太田純前社長が急逝、6日後に社長に就きました。

中島 経営企画部長として4年、CFOとして4年、合わせて8年強、びっちりお仕えしました。とにかく大きな人でした。困ったことがあって相談にいくと、そんな小さいこと気にするな、大局観をもってお前の好きなようにやったらいいと言う。そういう時はいつも満面の笑みなんです。包容力があって腹の据わり方が違うんです。

――新たなキャッチフレーズは「突き抜ける勇気。」「恐れる理由はどこにもない。ビジネスに冒険を。毎日に挑戦を。その勇気から、すべてが始まる」と続きます。

中島 太田さんが掲げた「カラを、破ろう。」というスローガンは強烈でした。その旗の下、固定観念や前例、組織の論理にとらわれない新しい発想を持てるようになった従業員に、次は勇気を持って新たな発想を実現させていって欲しいという想いを込めました。

――リテール統括部長時代は、支店の職場を歩きながら、住友の二代総理事、*伊庭貞剛(*いば ていごう/1847年~1926年 住友の経営近代化を推進し、住友銀行をはじめ、現在の住友各社の母体となる企業を設立した。別子銅山公害問題の解決と自然再生に死力を尽くし、「企業の社会的責任の先駆者」として称えられる。)の言葉を紐解き朝・夕礼を行ったそうですね。

中島 かつて収益至上主義の批判を浴びた現場は、お客様本位とカネ儲けは相容れないというジレンマに悩んでいました。「企業の社会的責任の先駆者」と呼ばれる伊庭翁の座右の銘「君子財を愛す、これを取るに道あり」と出合ったのは、その頃です。商人が目の前の仕事に心血を注ぎ、お金を稼ぐのは当たり前です。人の道を外れたことをしてはならないということに尽きます。実は、最初に頭に浮かんだ私のスローガンは「力を合わせて、正しく勝つ。」でした。

よく知られた伊庭翁の名言には「事業の進歩発達に最も害をするものは、青年の過失ではなくて、老人の跋扈である」があります。「青年の過失ではなく」と言い切ったところが凄い。伊庭翁は「青年は失敗してもよい、彼らに失敗するチャンスを与えよ」と考えておられたように思います。一流のプロ野球選手でも3割を打つのは至難の業。若い人はどんどん打席に立って欲しい。突き抜ける勇気を持って前へ進もう、です。

中村達新社長のキャッチフレーズ「突き抜ける勇気。」のポスター

――中島さん自身が「突き抜ける勇気。」を示せたと思う仕事は。

中島 太田CEOから「アジアをやろうぜ」と、ハッパをかけられたのは5年前。国内で得た安定収益をベースに、成長領域である海外での挑戦を続け、グローバルでトップティアの金融グループを目指すのが、太田さんの揺るがぬ信念、基本戦略でした。その柱となるアジアでのフランチャイズ戦略の強化に打って出ました。

私が手掛けたのはベトナムのノンバンク大手への出資(最大1500億円)、フィリピンの大手銀行への出資(約100億円)、インドのノンバンク大手「フラトン・インディア」の買収(約2200億円)。いずれもコロナ・パンデミックの真っただ中の21年。銀行本体が赤字になるかもしれない瀬戸際でしたから「こんな時に」と危ぶむ向きもあり、我ながら「よくやれた」と思います。胆力のある太田さんが背中を押してくれたからできた仕事です。目下、ベトナムは苦戦していますが、インドは急成長が続く。その向こうにアフリカの商圏が広がっています。

――国内の収益も好調ですね。

中島 国内については、リテールはもちろん、中堅・中小企業取引もSMBCグループがトップです。一方、大企業取引は後れを取り、3メガ発足当時の貸付残高は、MUFGがうちの約1・9倍、みずほFGが約1・7倍でした。しかし、ここ数年、大企業取引も手の届く水準に近づいている。グループの総合力を活かして、追い越す日も夢じゃないと思います。

(聞き手/本誌編集長 宮嶋巌)

   

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